2025.11-14
『終わりがあるから、強くなれる』スノーボード・竹内智香選手が語る、最後のシーズンへの向き合い方
SNOWBOARD
アスリートにとって「オフシーズン」とは何を意味するのか。そして、キャリアの「終わり」を意識した時、見える景色はどう変わるのか。
27年という長きにわたり世界の第一線で戦い続け、6度の大舞台を経験してきたスノーボード界のレジェンド、竹内智香選手。現役引退を発表し、キャリア最後のシーズンに臨む彼女が過ごす「最後の夏」は、これまでとは全く違う意味を持っていた。
「今までと同じように全力で過ごしているつもりでも、これが最後の夏と思うと、見える景色が違います。最後のインターバルトレーニング、最後のジム通い。その一つひとつが儀式のように感じられて、まるで四季の最後を感じるようです」
そこにあったのは、引退という言葉から連想される寂しさではなく、研ぎ澄まされた覚悟と、今この瞬間を味わい尽くすという強い意志だった。

「オフ」ではない、「オン」の始まり
トップアスリートにとって、オフシーズンは決して「休息」を意味しない。竹内選手は、3月から8月ごろまで続くこの期間を「トレーニング面ではむしろ冬よりも辛い時期」だと断言する。
「この時期は体づくりがメインで、1年間戦える体力をつけ、痛めた部分をしっかり治す。整えるという意味で、オフシーズンの頑張りが大きく本番での結果を左右します」
雪上シーズンが始まれば、トレーニングの主軸は技術面の追求へとシフトする。午前は滑走、午後はコンディショニングという日々の中で、フィジカルを根本から鍛え直す時間は限られる。だからこそ、夏にどれだけ質の高い準備ができたか。作り上げた身体を、秋から冬にかけていかに良い状態でキープできるかが勝負の分かれ目となる。

怪我と向き合う勇気、そして「今」を生き抜く強さ
長く競技を続けていれば、誰もが怪我という壁にぶつかる。今年の竹内選手にとってのオフシーズンは、2023年12月から痛めていた腰と向き合うことが大きなテーマだった。
「春から夏にかけては、『痛くない体』『動ける体』に戻すことを目標に、一つひとつ段階を踏んでいます。良い日もあれば、思うようにいかない日もある。その繰り返しですが、確実に前進しています」
焦りや不安が募る中でも、彼女は目の前の課題から目を逸らさない。その原動力となっているのが、「今この瞬間を後悔のないものにできているか」という自身への問いかけだ。
2018年に一度競技を離れ、2年半後に復帰。北京での世界大会を心から楽しんだ経験を経て、「生涯現役」という言葉を胸に刻んできた。競技の第一線からは退く決断をした今、その意識はさらに強まっている。
「この1シーズンは『最後』という意識を強く持ち、1秒1秒を大切にしています。引退を決めたことで、時間の尊さを初めて実感しました。終わりがあるからこそ強くなれる。選手として過ごす時間が限られているからこそ、毎日を大切に駆け抜けたい。その姿勢が次の人生にもつながっていくと思います」
うまくいかない日も、地道なリハビリも、全てが「最後」のシーズンに繋がっている。その一つひとつを儀式のように大切にすることで、アスリートは心身ともに成熟していく。

自分の声を聞き、ルーティンに縛られない
結果を出すために、日々のルーティンを大切にするアスリートは多い。しかし、竹内選手はその付き合い方に独自の哲学を持つ。
「私はあまり『ルーティン』というものを作らないんです。というのも、それが必ずしも毎日できるわけではないからです」
毎朝の体重測定、ウォーミングアップ、食事、トレーニングという基本的な流れは存在する。しかし、何らかの理由でそれが実行できなかった時、「未達成」と捉えるのではなく、「それもひとつの結果なんだ」と受け入れる。ルーティンは大切だが、それに依存しすぎない。できなかったとしても成功に繋がるような、自分だけのリズムを何よりも重視しているのだ。
この哲学は、休養の取り方にも通じている。
「長く選手をやっていると、『なんか今日は嫌な感じがするな』と思う日があるんです。そのときに、それが“疲れによる違和感”なのか、“体の不調による危険信号”なのか。その見極めが本当に難しい」
一歩間違えれば甘えの休みになり、逆に積極的休養にもなる。その繊細な境界線を見極めるために、彼女は自身の身体の声に耳を澄ます。「今日はやめておこう」と感じた日は、勇気を持って休む。それもまた、最高のパフォーマンスを発揮するための重要な選択なのだ。



「引退」は、最高のデザート
キャリアの終わりを意味する「引退」。その言葉には、どこか寂しさがつきまとう。しかし、竹内選手の言葉は、そのイメージを塗り替える。
「これまでは、どこか後ろ髪を引かれるような気持ちで去るものだと思っていました。でも今は本当に『お腹いっぱい』。最高のフルコースを食べ終えたような充実感です。4年をひとつのコースとするなら、それをたくさん味わえた。そう考えると、今は最後のデザートを楽しむような感覚で、終わりを迎えることを寂しさではなく、楽しみとして感じています」
27年間の競技人生。それは、応援してくれた人々やスポンサー、共に戦った仲間たちに支えられて歩んできた道だった。引退会見は、まるで同窓会のように、これまでお世話になった人々が集う感謝の場となった。変わる勇気も必要だが、それ以上に難しいことは変わらないことへの勇気。自分が変化し続けることで、同じ場所で戦い抜いた27年間は、彼女にとって何物にも代えがたい誇りとなっている。
夢の舞台のその先へ
アスリートにとって、4年に一度の夢の舞台は大きな意味を持つ。しかし、6度の出場を経て、竹内選手のその舞台に対する考え方も変化してきた。
「かつてはメダルを取ればスターになれると思っていましたが、今は違います。メダルを取ることも、社会で一つのプロジェクトを達成することも本質は同じ。自分の職業がたまたまスノーボードであり、4年に一度、その舞台があるだけです」
もちろん、最後のシーズンとなる次の大会は「勝ちに行く」と明確な目標を掲げている。しかし、その先に彼女が見据えているのは、メダリストという肩書ではない。「ひとりの竹内智香として世の中に貢献できる人間でありたい」。その想いが、彼女を突き動かしている。
「本当の強さ」とは何か
最後に、竹内選手が考える「強い人」とはどんな人間か。
「私が大事にしているのは、苦しい時に腐らず努力を積み重ねられる人。調子がいい時は誰でも頑張れます。でも、うまくいかない時にどれだけ地道に続けられるか。そこに本当の強さがあると思います」
思うような結果が出ない時、怪我に苦しむ時、スランプに陥った時。そんな時にこそ、アスリートの真価が問われる。
そして、その強さを支えるのは、決して特別な才能だけではない。日々のトレーニング環境、身体を守るウェア、支えてくれるスタッフや仲間たち。競技寿命が延びている現代、アスリートは多くのサポートの上に成り立っている。
終わりがあるからこそ、時間は輝きを増す。「最後」のシーズンに向かう竹内智香選手の挑戦は、競技人生という壮大な物語を最高の形で締めくくるための、美しく、そして力強いフィナーレだ。彼女が示す生き様は、未来を担う若いアスリートたちにとって、最も光り輝く道標となるに違いない。

