UNDER ARMOUR
TOM BRADY

“The Underdog Story”トム・ブレイディ
〜伝説を超えて〜

アメリカンフットボールは米国で最も人気の高いスポーツだが、日本での競技人口はわずかに2万人。NFLを含めたファンは数十万人いるとも言われるが、いずれにしろこの国ではまだマイナーなスポーツであることに変わりはない。だが、フットボールを全く知らない日本人でも、その存在を意識する瞬間が年に一度だけある。NFLの王座決定戦であり、言わずと知れた全米最大のスポーツイベント、スーパーボウルだ。 昨シーズン、アトランタ・ファルコンズを大逆転で下して、史上最多となる5度目のスーパーボウル制覇を果たし、歴代1位となる4度目のMVPを獲得したのが、ニューイングランド・ペイトリオッツのクォーターバック(QB)、トム・ブレイディだ。

ブレイディが5個目のチャンピオンリングを獲得したことが、どれほどの偉業であるかは、多くのスーパースターたちの反応からも見て取れる。NBAのレブロン・ジェームズは「GOAT(Greatest Of All Time)に敬礼する」とツイッターで尊敬の念を表し、元MLBのスター選手であるデレク・ジーターは、かつて「勝利という言葉を聞くと、真っ先にブレイディの名が思い浮かぶ」と最大級の賛辞を送っている。そして、今回のスーパーボウル制覇は、フットボール界にとっても大きな意味を持つ。なぜならそれは、過去に4度スーパーボウルを制したジョー・モンタナやテリー・ブラッドショーといった、今も語り継がれるNFLレジェンドたちのキャリアを抜き去る瞬間だったからだ。名実ともにフットボール界、スポーツ界の伝説となったトム・ブレイディとは、いったい何者なのか。

スーパースターには代名詞が存在する。マイケル・ジョーダンであれば、バスケットボールの“神様”。レブロンは“キング”。ジーターは“キャプテン”といった具合だ。米フットボール界に数々の金字塔を打ち立て、彼らに勝るとも劣らない実績を残しているブレイディだが、誰もが思い浮かぶ代名詞は存在しない。2000年代を中心に“ペイトリオッツ王朝”という言葉がしばしば使われてきたが、これは必ずしもブレイディ個人を表すものではない。4度目のスーパーボウルを制した2015年ごろから、彼は“GOAT(Greatest Of All Time)”と呼ばれるようになった。昨年のスーパーボウル制覇でこの呼び名は確固たるものとなり、今夏発売のNFLゲームの最新作では、 “GOAT エディション”と題してブレイディがカバーに採用されている。

“すべての時代の中の最高”。GOATという造語は、確かにブレイディという稀有なアスリートを象徴する表現だ。だが、この言葉は彼の存在そのものを本質的に言い表してはいない。なぜなら、GOATとは彼が積み重ね、成し遂げてきた結果がそう呼ばせるものに過ぎないからだ。人間トム・ブレイディの本質を表す言葉。それは “アンダードッグ”をおいて他にはない。彼の半生を振り返る時、しばしばこのアンダードッグというキーワードが登場することになる。

アンダードッグには“敗者”や“負け犬”という意味がある一方で、“勝つ見込みが少ない者が、強者に立ち向かう”というニュアンスが含まれている。日本語でぴたりと当てはまる言葉はちょっと見当たらないが、しいて言えば“下克上”が近いかもしれない。「僕は高校時代、0勝8敗のチームの控えQBだったんだ」。ブレイディがESPNのインタビューに語った言葉だ。彼は、一見勝ち目のない戦いに何度も挑み、勝利することによって自らの人生をつかみ取ってきた。そして、その姿勢はすべての栄光をつかんだ現在もまったく変わらない。ブレイディの生き様、まさにそれは“アンダードッグ・ストーリー”と呼ぶにふさわしい。

“The Underdog Story”トム・ブレイディ
〜スターダムへ〜

トム・ブレイディの“アンダードッグストーリー”は、カリフォルニア州サンマテオから始まった。地元のジュニペロ・セラ高校に進学したブレイディは、高校1年生の時にフットボールを始めた。野球選手としては優れた能力を発揮していたブレイディだが、フットボールでは2軍チームの控えQBだった。1992年の夏、15歳のブレイディは人生で初めて2軍戦のQBとして先発出場した。この試合について、当時のブレイディのチームメートで、オフェンスタックルを務めていたジョー・ ヘッションさんはこう語っている。「人生で最も打ちのめされた瞬間だった。一度もタッチダウンを奪うことはできず、トミー(ブレイディの愛称)は少なくとも15回はQBサックを食らった。そのまま退部して、バーにでも行きたい気分だった」。へションさんは辞めなかった。その理由について、こう付け加えている。「トミーは控えとして全敗でシーズンを終えた1年生の時からずっと、変わらず努力していたよ。試合では何度倒されても、すっと起き上がってハドルに戻っては味方を鼓舞していた。試合に勝つも負けるも、全部こいつに託そうって心から思えた」。さらに、ブレイディの努力が具体的に想像できるエピソードの一つが、試合後のホームミーティングだ。ブレイディは高校時代、試合後にWRの仲間を自宅に招き、全てのプレーについて納得がいくまで話し合っていた。「そんなことをする選手は後にも先にもブレイディだけだった」と高校のコーチは振り返っている。

強豪のミシガン大に進んだ時も、最初は7番手QBからのスタートだった。上級生になり苦労してつかんだスターターの座を、能力の高い大物新人に脅かされた。その競争にも勝ち、名門のアラバマ大を倒してボウルゲームを制した。だが、それでもNFLのスカウトの評価は低いものだった。理由は彼がフィジカルな選手ではなかったからだ。40ヤード走のタイムは5・2秒と足が遅く、肩も驚くほどいいわけではない。それに加えて線の細い体型。各チームがブレイディに下した評価は“”貧相な体格の凡庸な選手“というものだった。それを証明するように、ドラフトではなかなか声がかからなかった。ブレイディがようやく全体6巡目でペイトリオッツから指名された時には、既に彼の前に198人の名前が読み上げられていた。

NFLでのシンデレラストーリーは有名だ。ペイトリオッツにはエースのドリュー・ブレッドソーがいた。ブレイディはここでも4番手の控えQBで、1年目に投じたパスは、わずかに3本だった。だが、持ち前の努力と研究熱心さで成長し、チーム内の信頼を勝ち取ると、2001年のシーズン前には2番手まで昇格していた。転機は突然訪れた。第2週のジェッツ戦で負傷したブレッドソーに代わって、ブレイディに出場の機会が巡ってきたのだ。この試合は敗れたが、ブレッドソーのけがが治るまで5勝2敗で乗り切り、スターターの座を勝ち取った。そして、プレーオフを勝ち進むと、勢いそのままにスーパーボウルを初制覇して、NFL史上最年少のMVPに輝いた。

レギュラーの座を奪われたブレッドソーは、後にこの時のことをこう振り返っている。「けがから回復後はまた試合に出られると思っていたが、ベリチックから先発を代える気はないと言われてショックだった。当時は受け入れ難かったが、トミーはいいプレーをしていたし、何よりオフェンスラインが改善されてチームがよくなった。トミーをかばおうとみんなが奮起し、彼は魔法を手にしたようにプレーしていたよ」

かつて、セントルイス・ラムズのQBカート・ワーナーがスーパーのレジ打ちからスーパーボウルを制したように、ドラフト199位のブレイディのシンデレラーストーリーも、ここで完結したように思えた。だが、これは今も続くブレイディ伝説の始まりにすぎなかった。

“The Underdog Story”トム・ブレイディ
〜恩師と仲間〜

ブレイディを語る上で、欠かすことができない人物がいる。ペイトリオッツのビル・ベリチック ヘッドコーチだ。ブレイディのNFLにおけるキャリア、すなわち5度のスーパーボウル制覇、4度のMVP受賞という栄光は、全てベリチックとともに勝ち取ったものだ。言い換えれば、二人の存在がペイトリオッツという21世紀の常勝チームを作り上げた。

「彼らは似た者同士だよ」。以前にペイトリオッツでキッカーを務めていたアダム・ビナティエリは、ブレイディとベリチックの関係について、全国紙のインタビューでこう説明している。「彼らはお互いに認め合い、尊敬し合っているし、勝利に対して強烈な執着心を持っている。非効率なことや怠慢を嫌い、準備に全てをかける」。勝利というキーワードについて、オフェンス・コーディネーターのジョシュ・マクダニエルズもこう話す。「トムがしたいことの全ては勝つことであり、ビルもまた同じだ。試合前、戦略を共有するために、ベリチックとブレイディはオフィスで二人だけで時間を過ごすんだ」

前述の通り、2001年シーズンにベリチックは負傷したエースQBのブレッドソーに代えて、ブレイディを抜擢した。そして、ブレッドソーが復帰してもブレイディを起用し続けた。ベリチックにその決断をさせたのが、ブレイディの準備力であり、最も評価している点でもある。ベリチックは言う。「私は今までコーチした選手の中で、ブレイディよりチームを一つにできる人物に会ったことがない。そうさせているのは、彼の試合に対する万全の準備だ」。一方のブレイディも、ベリチックに対して全幅の信頼を寄せている。「良いことも悪いことも、周りの雑音は無視して、チームのために正しいことをする。言い訳はしない。それがベリチックの哲学だ。彼はフットボールのコーチングに全てを捧げているし、僕はQBとしてプレーすることに生きがいを感じている。彼のため、そして仲間やファンのためにも、僕は勝利を目指し続けるんだ」

ブレイディに対するチームメートの信頼も厚い。2003年にペイトリオッツに入団し、オフェンスラインのセンターとしてブレイディに9年間スナップを出し続けたダン・コッペンは、こう話している。「彼は本物のプロフェッショナルだよ。どんな状況でも毎日戦っていた。試合に出られなくても、個人練習やスクリメージで、自分ができるベストを尽くしていた」

ブレイディはどん欲に勝利を追求するアスリートだが、決して自分さえ良ければいいと考えている人間ではない。それを象徴している話が二つある。一つは、2015年のスーパーボウルでの出来事だ。試合は、残り26秒からペイトリオッツのDB、マルコム・バトラーが値千金のパスインターセプトを決めて、劇的な勝利を収めるというものだった。この時、サイドラインで子どものように飛び跳ねて喜ぶブレイディの姿がテレビ画面に映し出された。ブレイディは勝利を大きく手繰り寄せたことに加えて、無名校からドラフト外の契約で入団し、自分と同じようにチャンスをつかんだバトラーの活躍が、心からうれしかったのだ。ブレイディはこの試合のMVP賞の車をバトラーにプレゼントして、彼のビッグプレーを祝福している。

もう一つは2016年のプレーオフでの出来事だ。ペイトリオッツはブロンコスに敗れて、連覇を逃した。その試合後、ブロンコスのRB、CJアンダーソンのもとに歩み寄って言葉をかけた。その時のことを、アンダーソンがツイッターでつぶやいている。「おれはドラフト外でNFLに入ったから、苦労してきた。ドラフトの時に見過ごされて、199番目で指名されたこの男の活躍は、そんなおれに勇気を与えてくれたんだ。“CJ、よくやったな。みんなの評価は間違っていて、お前はこのリーグでやれることを証明したんだ。お前のプレー好きだぜ。”トム、こんなこと言ってくれてありがとう。お前のこと嫌いなやつもたくさんいるけど、おれはまじで尊敬してるぜ。今まで困難を乗り越えられるってことを見せてくれてありがとう。今度はおれの番だ!」

“The Underdog Story”トム・ブレイディ
〜ジゼルと未来〜

ブレイディのストーリーにとって、ベリチックとともに重要な登場人物がもう一人いる。2009年に結婚した妻のスーパーモデル、ジゼル・ブンチェンだ。ジゼルはブレイディの最良のパートナーであると同時に、彼女もまたアンダードッグストーリを体現している人物なのだ。ブラジルで生まれ育ったジゼルは、プロのバレーボール選手を志していたが、体が細かったこともあり夢は叶わなかった。そんな時に町のファストフード店でスカウトされ、モデルの世界に飛び込んだ。その後、ニューヨークに移住してキャリアを本格的にスタート。2000年代に入ると、名実ともに世界のトップモデルとなり、ブレイディをしのぐとも言われる高収入を稼ぎ出して、トップの座に君臨し続けている。ブレイディの“ペイトリオッツ王朝”との対比で、モデル界の“ジゼル王朝”と呼ばれることもあった。ブレイディは食生活をはじめとして健康に人一倍気を使っているが、「食生活の他に若さを保てる秘訣があるとすれば、ブンチェンによるサポートだ。彼女がいることでフットボールに集中することが可能になっている」とテレビのインタビューで語っている。さらに、「家での決定権はジゼルが持っているが、彼女は必ずこうあるべきだというような押し付けはしない。僕の意見も聞いてくれた上で、お互いに尊重して生活している」と、いかにジゼルが大切なパートナーであるか話す。

「25歳の時よりも確実に今の方がいいプレーができる。試合でダメージを受けても、水曜日の練習までには回復する方法を知っている」と語るブレイディは、8月3日の誕生日で40歳の大台を迎える。いったいいつまで現役を続けるのだろうか。今年のスーパーボウルが終わった後、そろそろ引退してはどうかと話す妻のジゼルに、ブレイディはきっぱりとこう話した。「ごめんね、まだだめなんだ。今が最高に楽しい時。まだできると感じてしまう。好きなことがやれて、まだそれを続けられる。できるって知りながらやらないのは面白くないだろう。また、次のために頑張って準備をしなくちゃいけない」。このコメントをスーパーボウル翌日の2月6日に明らかにしている。一年間戦い続けて、最後に歴史に残る激闘を終えたばかりだ。「ゆっくり休んで先のことはこれから考える」とコメントしてもよさそうなものだが、ブレイディの闘志がそれを許さない。ブレイディは試合の翌日から、すでに来シーズンの準備のことを考えている。いったいこの男のファイティングスピリットは、どこから湧いてくるのだろうか。

ブレイディは現役について、45歳が一つの節目になるだろうと話しているが、50歳までプレーすることを明確に否定はしていない。彼の勇姿を見ることができるのは、あと5年か10年か。ブレイディは過去のインタビューで、フットボール選手として成功することができた要因についてこう説明している。「僕は高校時代、0勝8敗のチームの控えQBだった。大学では7番手、ドラフトでは199番目だった。神様からもっと優れたものを与えられた選手は、僕よりたくさんいるだろう。だが、僕は他の人と同じやり方はしなかった。自分がやるべきことを他の人よりもやった。それだけだよ」

5度目のスーパーボウルを制した時点で、ブレイディがGOATと呼ぶべき、特別な存在であることに異論をはさむ余地はなくなった。モンタナという伝説を超え、各界のスーパースターたちもブレイディを尊敬している。だが、ブレイディが戦うことをやめる気配はない。前人未到、自分との戦いとなる6度目のスーパーボウル制覇を目指して、すでに準備を始めている。なぜブレイディは挑戦することをやめないのか。それは彼が生まれながらのアンダードックだからに他ならない。